「パタヤ」は昔「タパヤ」だった?

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この写真は、近所のお粥屋に掛けてある写真である。1952年というから今から60年前の写真なのだが、英語で「タパヤ」と書いてある。これはどこだと聞いたら、「パタヤ」だという。きっと英語のスペルを間違えたのだろうと思い、左側のタイ語を読むと「タップ・プラヤー」すなわち「タッパヤー」と書いてある。
疑問に思ったら調べてみるのが私の癖、日本語サイトには情報がないため、タイ語のサイトで調べさせて少しわかってきた。
「タップ」は軍隊や軍の基地をさし、「プラヤー」は、アユタヤ時代の軍隊の上から3番目の階級を指す。さしずめ、「将官の駐屯基地」みたいなものか。ちなみに、当時のその上の階級は「チャオプラヤー」だそうだ。
アユタヤ時代の末期、ビルマに攻め込まれていた1767年、新兵を求め東方に進出し、パタヤに軍の基地を作り、「タンボン・タップ・プラヤー」(タッパヤー村)と呼んだ。
その後、海側を呼んでいた「パタヤー」と名を改めたようだ。雨期に吹く「南西の海風」を「ロム・パタヤー」と言い、海岸線をパタヤーと呼ばれたらしい。
となると、200年以上前からそこは「パタヤー」であって、すでに「タッパヤー」ではない。そこで現在の地図で調べてみると、パタヤビーチロードから南下しジョムティエンに抜ける山越えの道は、「タップ・プラヤー通り」になっている。すなわち「タッパヤー通り」なのだ。この写真は、南のタッパヤー通りの山の上から北のパタヤ海岸を撮影した写真なのだろうと推測される。撮影場所が、「タッパヤー」なのだ。

まあそんなこんなで、パタヤを発展させた米軍兵士が、タッパヤーが発音しにくく、パッタヤーになってしまったのかも知れないと考えていた自分の予想が外れた。それぞれに意味がある言葉であった。

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