土曜日の朝のシラチャ考

今日で7月も終わりです。なんともお客さんの多い、忙しい月でした。4月5月タイは反政府デモの影響で日本からの出張者も制限されていたのでしょう。とは言え、タイの自動車産業がこのところの円高、及び中国からの一部シフト等で生産台数も増え、新たな設備投資も行われ、活況を呈してきました。
2008年秋のリーマンショック以降、昨年はシラチャの日本人も激減しアパートの稼働率もつきにより50%を切るくらいまで落ちました。2010年1月から雰囲気として自動車関係の工場の設備投資、新たなラインの増設が始まり急にお客さんが増えてきました。6月以降は堰を切ったように増え、とうとう今月半ばからは満室状態になってしまい、スタッフ一同も嬉しい悲鳴を上げながら、乗り切ろうと必死です。管理人のおじさんは、最近毎晩、夜中に電話で起こされ、お客様のトラブルに対応しています。でもおじさんはいつも笑顔ですよ。一昨日は、朝3時半に、鍵を忘れて帰宅した部屋を開け、昨日は、開かなくなったセーフティボックスを開けたり、サービスを楽しんでる次第です。でも朝は眠たいですね。
今朝は今朝で、チェックインのお客さんが早朝に到着され、部屋の準備が終わってなくあわてましたが、何とか終わらせ入っていただきました。日本人管理人がいるアパートならではの対応ですよね。

私が始めてシラチャの町を訪れたのは、遡ること21年前の1989年でした。
当時は、このシラチャにはサハパット工業団地しかなく、小さな漁村でしたが、なぜか海岸通りには日本食が1軒とカラオケ、名前は確か「なぎさ」か「みさき」みたいな店があっただけでした。
夜ともなると、町中真っ暗だった記憶があります。その後、1995~6年から、レムチャバン港の建設にあわせてイースタンシーボード、アマタシティ、ロジャナラヨーンと言った工業団地が次々に建設され、一斉に自動車部品メーカーが進出してきたのです。その頃、シラチャでの日本からの出張者は殆どシティホテルに泊まっていました。当時でも1泊1200Bくらいしてましたから、全く料金は上がってないんですかネエ。
その頃には、ホテルの近くに「ラーメン太郎」があり、カラオケも徐々にできてきました。と同時に、パシフィックグループのシラチャナコーンの開発が始まり、ロビンソンを中心にした日本人町シラチャナコーンが形成されたのです。
当時バンコクで内装会社をやってた頃にスリウォンにオープンした居酒屋もシラチャに引越し、今も私の直筆の店名ロゴの看板がシラチャの町に上がっているのを見ると懐かしいです。
先月、スクムヴィットの海側の地図を作るために、半日町を歩き店を調べましたが、海側だけで、日本食30軒、カラオケスナックが53軒あったのには改めて驚きました。
今後、この町がどうなっていくのか、見届けたいなあと思ってる土曜日の午前です。
さあ、来月も忙しいです。スタッフ一同頑張りましょう!!!

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