ミャンマー人のワークパーミット申請・労働局

前からの続きになるが、7月12日に「バイクォータ」の申請、その受け取りが7月26日、その後、それをもって国立病院の健康診断8月11日。他の書類をそろえて8月22日に提出に行くが、その日は、申請の予約票(8月29日)をもらっただけ。 そしていよいよ今日29日、オープンの8時半に労働局に到着、本日受付のリストに名前はあるがまた整理券を受け取る。1日300人の処理をすると決まっているらしい。その時点で、整理券は86、87。整理券は採用人数が二人なら2枚というわけだ。
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オフィスに入るとやっと始業時間になったようだ。
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そのまま椅子に座って待つこと2時間半。その間に待ち席は満席になる。隣のおばさんの整理券は149.
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11時を過ぎてやっと順番が回ってきた。カウンターに座り、書類を提出、OKなもの、不備な書類、をまたそこでチェック。約15分、説明を受け、結局再提出となった。少し、前に進んだ。次回は受け取ってもらえそうだが、また8月22日の作業からやり直しというわけだ。担当者の彼女に「大変やね」と声をかけたら「毎日この状態で、その日の整理券の最終までやると毎日夜8時、9時です。」と ちょっとずつではあるが、目の前の霧が晴れていく。もう少しだ、頑張ろうと思う。

プレム氏97歳の誕生日!

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【タイ】プラユット首相(元陸軍司令官)、プラウィット副首相兼国防相(元陸軍司令官)らタイ軍事政権幹部は24日、翌26日に97歳の誕生日を迎えるプレム枢密院議長(元首相、元陸軍司令官)のバンコク都内の自宅を訪れ、誕生日を祝賀した。  議長は高齢にも関わらず、立ったままで祝賀客にスピーチし、政府の仕事ぶりを高く評価した。  プレム議長は1920年、南部ソンクラー生まれ。1978―1980年に陸軍司令官、1980―1988年に首相を務めた。プミポン前国王の信頼があつく、1988年の首相退任時に枢密顧問官に任命されるとともに、「ラタブルット(国家功労者)」の称号を受けた。1998年から枢密院議長。政財官界や特に軍に極めて強い影響力を持ち、年末年始やタイ正月、自身の誕生日前後には毎年、現役の軍、警察の最高幹部が祝賀に訪れる。 《newsclip》 こんなニュースがあった。私がタイに駐在で来たのが1989年、ちょうど初の民選首相チャチャイ首相に変わった後だった。その後1991年2月にクーデターによりチャチャイが追放される。その後、2006年のクーデター、2014年のクーデターと3回続くが、その折々に裏でクーデターを画策したのはプレム枢密院議長だと言われた。現在のプラユット軍事政権は、国民の世論調査によると「良い」と「非常に良い」を合わせると80%を超える。正直、タイに住む我々外国人にとっても安定し満足である。ここ30年の間、国の混乱、腐敗をこのプレム氏が国王の信頼の下に裏で操ってきたのだと思う。やはり、軍事政権が国を最も安定させるのではなかろうか????

「お墓」の話

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私が育った和歌山県串本の墓地である。日本でも有数の大きな墓地だと聞いたことがある。この中に、阪本家の墓もある。
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60年前に、祖父が、長男の私の父が大阪から戻り家業を継いだのを機に建てた墓だ。その後、父は46歳という若さで他界し、母親が店を切り盛りしていたが、店を閉めて大阪の私の家に移り住んだ。姉も大阪に嫁いでいるが、義兄も同じく串本出身で墓は串本にある。阪本家の墓は、12年前に、墓石・墓誌・灯篭を50万で立て替えた。 墓というのは、「長男が家を継ぎ両親の面倒を見る」という昭和の風習があって初めて成り立つものだ。近年の核家族化が進み、子供は皆都会に働きに出て家を構えると、田舎の墓の面倒を見るものがいなくなる。ご多聞にもれずこの私も、大阪に家を持ちシラチャに住んでいる。うちの3人の息子は皆大阪に住んでいるが、その子供たちは成人して東京に行くかも知れない。そう考えると、墓参りをするためには、世代ごとに墓を移動しなければならないというようなことも考えてしまう。現在、串本のお墓は、死んだ父親の従兄弟の娘に頼んできれいにしてもらっているが、息子の世代になると、知り合いもいなくなるわけだ。 日本は先祖を祭る「大乗仏教」ゆえの問題なのだ。それに対し「小乗仏教」のタイでは、墓がない。死ぬと近所の寺で火葬して、悲しんで、終わり。したがって菩提寺もないし、「うちの寺」もない。うらやましい限りである。 今後どうなっていくのか?悩んでいる人も多いと思う。田舎に家を買って、墓守しながらのんびり死ぬまで暮らすのもいいかとも思う。今は過渡期なので、都会の墓商売も盛んだが、もうひと世代過ぎると、他の名案が出てくるかもしれない。子供に先送りしてしまうのも一つの手かなと考える。

日本らしいトイレの注意表示

白浜に「よってって」という、地の新鮮な野菜・果物・海産物を売っているスーパーがある。帰国時に寄ったのだが、そこのトイレに入って、ある表示に驚いた。日本に住んでる人はよく見るよということかもしれないが、離れている私にとっては結構感動的な日本らしいものだった。
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「いつもきれいにお使いいただきありがとうございます。」 普通トイレを汚さないように、単純に「こぼすな」とか「○○を捨てるな」とか「きれいに使え」といった内容で表示したいものだが、こう書かれると「汚してないかな?」と周りを見渡してしまうヾ(@°▽°@)ノあはは 非常に日本的な表示に感動した。

一時帰国します

今夜の便で一時帰国します。27日の早朝戻ります。 三男に生まれた孫と対面、4年ぶりの人間ドック、大学ゼミの同窓会、などなど重要案件?を抱えての帰国です。 留守中もメール、LINE、携帯電話とも開けてますので、何かありましたらご連絡ください。 宜しくお願いします。

畑をやってる山田さん

最近屋台に来てくれる山田さん、金曜日の釣りも参加した。もうすでに74歳で仕事もしていないお方だが、住んでるアパートの空き地で畑を作っているという。収穫があると、屋台に持ってきてくれる。 今回、ナスのおすそ分けを持ってきてくれた。
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なかなか、小ぶりだが色つやもよく、食べてみると皮も固くなく美味しかった。 しかし、シラチャまで来て、野菜作りをやってる日本人もまあいないだろう。山田さん、いいのができたらまた持ってきてね。今日は、ナスの浅漬けで売りますヾ(@°▽°@)ノあはは

暑くなりました!散髪!

ソンクランも終わり、ますます暑くなりました。日中外に出ると息ができないくらい暑いです。 暑いと言えば、「散髪」、ここ数年思い切り刈り上げでいるが、2週間もするとうっとうしくなり、いつもの散髪屋へ行く。散髪前の写真を見ると大して長くないのだが、本人はたまらなく暑い。
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ビフォーアフターの写真だが、んー、かなり気合が入っている。暑くなればなるほど、散髪の間隔が短くなる。2週間持つだろうか???

「お客様は神様」で客が強くなり過ぎた日本

面白い記事があった。 最近、あらゆる場所で客の立場が強すぎているという。「おもてなし」といえば聞こえがいいですが、最近売る側が客にへりくだりすぎ、相対的に客の立場が強くなりすぎた気がする。「俺は客だぞ」とばかりに店員をなじる「タチの悪い客」が増えている。 居酒屋でアルバイトに酒をこぼされ「どうしてくれるんだ、クリーニング代出せ!店長を呼べ!」などと騒ぐ客。トラブルで電車が遅れたと言って「駅員に詰め寄る」客。コンビニの店員に土下座させてSNSに流す奴。などなど 駅員も飲み屋やコンビニのアルバイトもお客に言い返すことができません。それをわかって「なじる」行為は、もはや客の横暴ではないかと思う。「客としての振舞い」を見直そう。 と言った趣旨の記事だ。なかなか日本ならではの心配事ではないかと思う。 タイでは、「お客様が神様」ではない。「(給料を払ってくれてる)社長が神様」なのだ。お客様の要望より社長の指示がはるかに優先する。レストランで注文したものがなかなか来ない時、店員にまだかと聞くと返事もせずに店内に入っていく。その後、返事も帰ってこない。その店員を再度呼ぶと、その子は知らないふりをする。誰も謝らないのだ。そんな経験ないだろうか? セブンイレブンには、マニュアルがあると思う。しかし郵便局の横のセブンイレブンでは、挨拶もしない、ありがとうも言わない、客が並んでいてもレジが一つしか開けてない。従業員が3人くらいでしゃべっている。なんて光景よくある。正直、セブンイレブンでは毎日腹が立つ。そこで怒鳴ってみても、彼らは知らん顔するのだろう。 しかし、タイではこんなものかとあきらめている。雇われ従業員にはそこまで望むことは難しいのだろう。またそれぞれ個人の質によるところが大きい。しかし、オーナーが自らサービスしている店は違う。オーナーにとってはお客様は神様なのだ。私は、オーナーが自ら営業している店を好んで利用する。当然大型店はないわけだが、そのほうがはるかに気持ちよく食べられるし、物も買える。 昔、タイは微笑みの国と言われた。今でも、ちょっと地方に行くと微笑みの国だなあと思う。ITの発達や、町の発展で皆忙しくなり、微笑む余裕がなくなったのかもしれない。

アメリカは10年に一度、戦争をする。

アメリカがシリア政府軍の拠点を攻撃し、59発のトマホークを撃ち58発が命中したという。
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アメリカの軍事産業は、どんどん武器弾薬を生産しているわけだが、戦争がなければ在庫が増える。また弾薬の賞味期限も10年と言われ、いままでアメリカは10年に一度は戦争をすると言われている。 今まで参戦した「戦争」と名のついたものは 1950年から53年 朝鮮戦争 1961年から73年 ベトナム戦争 1980年から1988年 イランイラク戦争 1991年 湾岸戦争 2003年2011年イラク戦争 という風に、確かに約10年毎に行ってきた。その間、○○紛争のようなものもある。 そう考えると、しばらくトマホークも使ってなかったし、ぼちぼち消費せざるを得なくなったのかと思う。 シリアの次は北朝鮮と続くのだろうか?????

ミャンマー、やはりうまくいかない!

ミャンマーのアウンサンスーチー率いるNLDが、2015年11月の総選挙で圧勝し、2016年3月30日に新政権が発足してからちょうど1年を迎え、アウンサンスーチーが国営放送で演説した。その中で、「この1年間の成果が、皆さんの期待に応え切れていないことを承知している」と言った。
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最優先課題としてきた少数民族武装勢力との和平も、彼女が国軍をコントロールできないため、前に進まない。 去年10月から行われたロヒンギャ族掃討作戦では、数百人の死者が出、無差別殺人や性的暴行があったと国連が調査団派遣の決議をした。 また、国軍とカチン族(カチン独立軍)との戦闘も去年の12月から激化している。 経済成長率は、前年の7.3%から6.5%と鈍化した。鎖国状態が解かれ、海外資本の流入は続くが、物価の高騰が庶民を苦しめているという。 2015年11月12日のブログで書いた心配が、現実となってきた。 国軍を掌握できない政権は、東南アジアでは成功しないような気がする。クーデターが怖くて軍を排除することもできないし、こんな状態が続くと、国軍を味方につけた新たな名ばかりの民主化勢力が台頭して、政権を失うことになりますよ。大統領になれない政権のトップがどこまで持つのか見守りたい。

チーク家具のメンテナンス

アンティーク家具好きなので、チークの家具が多くある。屋内の家具は問題ないのだが、屋外にあまざらしの家具はメンテが必要となる。今回は、ベランダに置いてあるチークの椅子・テーブルにオイルステンをかけた。雨にさらされ直射日光に照らされかなりかわいそうな表情になっていたが、オイルステンをかけると少し生き返った。
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シラチャの住宅事情の変貌

もうすぐアタラモールがオープンする。以前皆に親しまれたナイトマーケット跡地に建設中の巨大プリジェクトだ。 2013年以降シラチャは、大きな変貌を遂げている。特に日本人対応のアパートやコンドーミニアムの乱立である。 日本人が住めるクラスの、アパートやコンドーミニアムを現在建設中も含めて数えてみた。 スクムビット周辺と海側では、ホテルとアパートで30物件、コンドーミニアムが19物件。これにモーターウェーまで含めると合計60物件もある。 部屋数にして、2013年には、アパートとコンドーミニアムを合わせて約3,500室だったものが、2016年で7,000室に増え、建設中の物がすべて完成すると2020年には16,000室になるという話だ。 おかげで、アパート業界は供給過剰に一気になり、うちのような歴史ある?アパートは苦戦を強いられることとなる。今後日本人が15,000人まで増えてくれたら問題ないのだが、そんなことはあり得ない。 住居を探す日系企業にとっては、おそらく選択肢が増え、家賃も値下げ競争に突入しそうな気配なので、嬉しい話かもしれない。 何とか消えてしまわないように頑張らねば!!

牛乳を飲むと伸長が伸びるか??

昨日WBCオーストラリア戦に先発した巨人の菅野の父親のコメントが掲載されていた。その中で、菅野家では「喉が渇いたら牛乳を飲む」というのが習慣だったと語っている。 それを読んで、ふと我が家のことを思い出した。私は1989年から1998年までバンコクに駐在していたのだが、その間1991年から1997年の6年間、家族帯同で暮らしていた。 当時、3人の息子は、上から小学校2年、小学校1年、幼稚園年中組だった。当時は当然水道水はそのまま飲めないし、今のようなペットボトルの飲料水もない時代。ポラリスという大して衛生的でない水だけが売られていた。今では信じられないが、牛乳も防腐剤の味がするような紙パックのものが常温で山積みされスーパーで売られていた。 時を同じくして、「明治乳業」が牛乳の生産を始めた。最初は知名度もないためか、マンションに住む日本人の家庭に配達をしてくれたのだ。これはちょうどいい機会だと、毎日1リットルパックを4本配達してもらうことにした。1本は親用、3本は子供たちの名前をマジックで書いて冷蔵庫に入ることになる。菅野家と同じで、「のどが乾いたら牛乳を飲め」である。毎日配達されてくるから、毎日飲み干さなければならないのが、子供たちの義務となった。 私は身長163センチしかない。小さい頃牛乳が嫌いで飲まなかった。親からは牛乳を飲まなかったから背が伸びなかったといまだに言われる。家内も158センチと長身ではないが、子供たちは高くなった。牛乳があまり好きでなかった長男は、飲み切れなかった分を次男に頼んでいた。結局、長男が173センチ、次男が181センチ、三男が179センチと、親を疑うような成長をした。 日本のテレビもゲームもなく携帯もない時代だったので、週2回タイ人のスイミングの先生を契約し、水泳を教えてもらい、子供たちも下校後は毎日プールで1時間以上遊んでいるという生活であった。おそらく、牛乳だけではなく水泳も奏功したのではと考える。 どちらにせよ、なぜ子供がこんなに大きいのかと聞かれると毎日1リットルの牛乳のおかげだと答える。 そんなことをふと、思い出したので書いてみた。これから子育ての皆さん、ご参考に!

和歌山勝浦漁港に巨大マグロ

日本の話題で申し訳ない。あまりにもすごいニュースなので・・・・ 私の田舎和歌山の勝浦漁港で5日に巨大マグロが水揚げされた。潮岬沖320キロではえ縄にかかったらしい。 2.82m446kgという過去最大のクロマグロだ!
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刺身にして3,000人前というから、シラチャの日本人全員に食べてもらえそうだ。落札価格は一体いくらだったのだろう???

3人目の孫誕生!

月曜日に三男に子供が生まれた。三人目の孫になる。3440gの女の子だ。
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髪の毛も黒々と、目もぱっちり、生後二日目とは思えない顔つきだ。私の孫だから、美人になるのは間違いない。 5月の帰国の楽しみがまた一つ増えた。

ミャンマーは「右ハンドルの右側通行」???

面白い記事があった。 ミャンマーで中古日本車の価格が急騰しているという。その理由が面白いものであった。 ミャンマーは、車は右側通行になっている。しかし、車の90%は右ハンドルだというのだ。「右ハンドル、右側通行」は、他の国ではほとんど見られない。追い越しの判断が容易ではないし、曲がり角では見通しがきかないまま曲がる車もある。バスが道路中央で乗客を降ろすこともしばしばという。怖くて運転できないと思う。
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かつて、ビルマと呼ばれたミャンマーは車の走行をどちら側にするか、またハンドルを左右どちらにするか、二転三転してきた。1970年代までは左側通行だったが、当時の独裁者ネ・ウィンが右側通行を義務付けた。 軍事政権時代、欧米の経済制裁を受けて左ハンドル車を輸入できなかった。そこで、右ハンドルを製造している日本に頼らざるを得なくなったようだ。 そんな歴史があり、現在こんなことになっているのだが、11月末に政府が右ハンドル車の輸入を禁止したのだという。そのため12月に入り、日本車の中古車価格が急騰しているというのだ。 90%が右ハンドルなのだから、左ハンドルにせずに、左側通行にしたほうが簡単な気がするのだが・・・・・

今日から工業団地にあいさつ回り!

12月に入り、連休も明け、今日から年末恒例の工業団地のあいさつ回りを始めた。 まず今日は、アマタシティ 7社だ。これから2週間かけて約50社を回る。 今日訪問したお客さんの工場で、面白いものを見た。なんとガードハウスの前にガンダムのようなロボットが2体。
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なかなか精工でよくできている。お会いした担当者の人に聞いたら、工場スタッフが、鉄の廃材で作ったそうな。 あまりにいい出来栄えなので、入り口に飾っているという。なかなか、いい会社だ! 明日は、イースタンシーボード、頑張るぞ!!

トランプが勝ってしまった! その理由?

アメリカ大統領選、予想に反してトランプが勝ってしまった。おかげで日本株暴落、大きな損失を出してしまった(。>0<。)ビェェン 木村太郎がただ一人、トランプ勝利を早くから予想していたが、その理由が書かれてあった。選挙戦を取材中、彼は数々の暴言を吐いたが、多くの国民が肚の底で感じていることや言いたいことだったのだという。普通、政治家はほんの冗談や失言を捉えられ、謝罪、撤回、場合によっては退任に追い込まれるため、言葉を選びながら本音をぶちまけることはできない。ところが彼は、国民の口に出せない本音を代弁したから支持を得たというのだ。 この記事を読んで、大阪の橋下徹を思い出した。府庁職員に「あなた方は、倒産会社の社員だ」とか「市庁をぶっ壊す」など数多くの暴言?を繰り返したが、そのたびに大阪府民、市民は心の中で「その通りだ、橋本のいうとおりだ」と心酔していった。今までの府知事、市長が言ってくれなかったこと、やってくれなかったことをやってのけたのだ。 成熟した国では、人々は極端な改革を知らず知らずのうちに危険だと判断するようになってしまったのだろう。しかし、現代ではSNSの発達により本音が伝わりそれに賛同するように変わってきたのだと感じる。 フィリピンのドゥテルテ大統領、私たちの常識では、こんな人は当選しないと思う。しかし、国民の支持率は90%近いのだから驚きである。まさに橋本徹である。東京都の小池知事もこの流れの中で、今活躍できている一人だろう。 トランプ大統領になり、日本経済、株価、為替がどう変わるのか想像がつかないが、日本企業への影響やそれによるタイ経済への波及が、最小限もしくはいい方向に変わることを期待する。

シラチャのカレン族

今おでん屋のスタッフは、ミャンマーのカレン族の夫婦だ。彼らは、ビルマ人かと聞かれると「いいえ、カレン族です」と答える。以前も書いたが、ミャンマーという国は、ビルマ族65%で、その他少数民族が35%いる。シラチャの市場周辺には彼らのコミュニティがあり、主にモン族とカレン族が暮らしている。カレン族はタイ語では「カリアン」と発音する。戦後、カレン族がどんな歴史をたどったか考えたい。 1948年ビルマがイギリスから独立を果たした際、ビルマ国内の諸民族がビルマ政府との共存を試みていたのに対して、カレン族は、ビルマからの分離独立を強く志向していたため、ビルマ政府とカレン族との間は強い緊張状態にあった。1949年前半には、ビルマ連邦政府が募った民兵によってカレン族の一般居住地域は攻撃された。さらにビルマ政府は軍事力を行使してカレン族指導者層を次々に逮捕・拘束した。1962年にはネ・ウィン将軍が実権を掌握するとカレン族など諸民族の独立運動はビルマ連邦政府への反乱として抑圧された。一方でネ・ウィンによる抑圧は、カレン族の政治指導者の側についているビルマ軍や、ビルマ政府に逮捕された人々との共闘関係を形成し、内戦につながった。 この分離独立運動は、現在でもKNU(カレン民族同盟)とKNPP(カレンニー民族進歩党)がそれぞれに軍を組織し、内戦が継続している。戦火を逃れたカレン族は、難民化しタイのキャンプで15万人が暮らしているという。 話を戻して、おでん屋のスタッフの「スィーちゃん」は、現在26歳、15年前に親とともに国境を越えたという。なんと11歳の時だ。その後工場で朝4時から夜まで工場で働いたという。今も故郷は、内戦おさまらず、もうミャンマーには帰らないという。アウンサンスーチーは好きかと聞くと、好きだけどまだ何もしてくれていないと・・・・

まだまだ雨季は明けませんねえ??

国王崩御から1週間以上雨が降らず、このまま雨期が明けてしまうのかと言う人もいたが、ここ二日間シラチャも昼間に雨が降った。 今日の午後1時過ぎ、アパートの駐車場に立ち、南の空はどんより曇っていたが、北の空は青空が広がっていた。
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それから1時間もしないうちに南から雲が広がり、一時大雨になった。
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まだまだ雨季は明けそうにない(。>0<。)ビェェン

日本人の老人が、タイ人の奥さんを散弾銃で

国王崩御から10日も経たないうちに、日本人の恥ずかしい事件が起きた。 https://www.youtube.com/watch?v=P9VfZLGxrZM タイ在住無職の森田茂69歳が、別居中のタイ人の妻を散弾銃で殺そうとした。財産の分配でもめていたというが・・・・ 記事だけでははっきりわからないが、色々想像してしまう。関係のいい時に、二人の住む一軒家を買ったのだろう。 しかしタイ人名義でしか買えないため彼女の名前で買ったのだろう。その頃は、家は彼女にやるつもりでいたが、歳をとり将来が不安になり、家を売って半分よこせ!みたいなことを想像する。 その時には時すでに遅し、彼女には以前からタイ人の男がいて、「私がもらったものよ!!」なんてことじゃないのか???? あげたものは戻ってきません。皆さん気をつけてくださいね。

急須の注ぎ口のビニールパイプ

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三重県のお茶屋さんがツィッターに投降した記事が話題になっているらしい。 日本に住んでいるとき、自宅でも他人の家でもよく見かけた急須の口のビニール。実は私も、お茶の切れをよくするためについているのだと普通に思っていた。 お茶屋の社長は、お客さんからの問い合わせに、「輸送中に、口が破損するのを防ぐためにつけてあるものなので、外してお使いください。」と回答したことから、話題になったらしい。 そういわれてみれば、長く使っていると水垢がついて黄色く変色したビニールを使っているのも見たことがある。 昔、母親に頼まれて、ホームセンターでビニールホースを買って交換したこともあった。 何十年も勘違いして、当たり前のように使っていたかと思うと笑ってしまう。 他にもこんなことがもっとありそうだ。

タイ王室の近代史

プミポン国王の崩御から6日経ったが、大きな混乱もないことに驚いている。 今回この機会をとらえ、タイ王室と政治の歴史を少し深く調べて簡単にまとめてみた。、 ≪絶対王政時代≫ チャクリー王朝第4代モンクット王(ラマ4世)が在位したのは、今から165年前の1851年だ。映画「王様と私」のモデルになり有名だ。この頃から近代化が始まることになる。ラマ4世には子供が62人いたと言われている。 その後即位したのは、息子のラマ5世、よく写真が飾られているチュラルンコン大王である。ちょうど今週23日がチュラルンコン・デーで国民の休日でもある。、彼の残した功績は非常に大きく、欧米各国との不平等条約撤回、郵便電信事業の開始、鉄道の敷設、軍事改革、教育制度の確立、さらに奴隷制度の廃止など近代国家の基礎を作り上げ、絶対君主制を構築した。また側室を入れた妻の数は160人以上と言われ、子供は77人を数えたことでも有名である。在位期間は1868年から1910年までの42年間と長く、57歳で崩御した。 ラマ6世は、1910年から15年間在位。同性愛者であったため子供はなく、異母弟のラマ7世に継がれることになる。 ≪絶対王政から立憲君主政〉≫ ラマ7世時代、1929年の世界恐慌はタイにも大きな影響を与えた。政治、経済にも合理的システムの必要性が出てきて、1932年立憲革命がおこり、憲法草案にラマ7世が署名し、王政を残した立憲君主制が確立された。 ラマ7世は、イギリスに逃亡し、バホン政権に抗議するため1935年に自ら退位し、イギリスで不遇な生活を送ったが1941年に崩御。 ラマ7世にも子供はなく、ラマ5世の69番目の子供マヒドン王子の子供ラマ8世が、1935年に即位する。当時10歳でスイスに留学中であったため、王室は「摂政」が管理する。その後、第2次世界大戦がはじまり、疎開もかねて8世はスイスに滞在を続けた。 大戦が終わり、1946年に帰国することになるが、帰国後すぐに原因不明?の事故死で崩御。享年21歳であった。 この8世の在位中11年間に、首相は2代目から8代目まで7人の首相が入れ替わっている。 ラマ8世の死後スイス留学中の弟のラマ9世が18歳の若さで即位。1946年のことである。スイスから3年後に帰国し、以降プミポン国王の時代となる。 1959年タイの国民が最も嫌う独裁者サリットが第14代首相に就任すると、彼は国民の結束を目的として王室の政治利用を図り国王もそれに従い、その結果現在見られるような国王への支持基盤が形成されることになった。 亡くなられたプミポン国王の国民を愛する性格ゆえに、70年の長期在位を保てたのだと思う。

友人の娘の結婚式に行ってきた!

昨日、25年来の友人モンさんの末娘の結婚式に呼ばれた。潮州華僑の彼は、大工から兄弟で木工所を起こし、以前私が内装工事をしていた頃からの付き合いで、現在もアパートの補修や改装を手伝ってもらっている。 会場は、ディンデーンの陸軍のホールで、600人も招待しているというから驚きだ。例によってだらだらと始まったが、父親のエスコートで新婦が入場、そして新郎が花束で迎える。
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ケーキ入刀などなどがあり、最後に両親にお礼(ワーイ・ポーメー)
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昔よく一緒にゴルフしたり、酒を飲んだりした彼の友人達もたくさん来ていた。ステンレス工場の親父、鉄工所の親父など、私の顔を見つけては懐かしく寄って来て旧交を温めた。すでに皆60歳を過ぎている。 お疲れのモンさんとツーショット
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会場は、終了の知らせもなく3時間後には、例によってバラバラと三々五々帰って行った。

蓮舫VS蓮舫の笑える動画

二重国籍問題に揺れる蓮舫民進党代表のめちゃくちゃ面白い動画があった。 蓮舫が蓮舫に質問し答える、めちゃ面白いから是非見てください!! https://www.youtube.com/watch?v=K8LiEyZZ6hY

VIGOの塗装がえらいことになった!

今週初めに、洗車に出した。また雨で汚れるのを防ぐためボディカバーをかけた。今までこんなことはなかったのだが、木曜日のお昼にカバーを外すと車がすごいことになっていた。
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特にひどいのが天井、ボンネットが少し。側面は、全く損傷せずだった。
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今まで何年も、カバーをかけ続けているが、こんなことになったことがなかった。この白っぽいシミはワックスでこすっても取れないし、塗装の中に入っている感じだ。 原因をネットで検索してみたら、私と同じ経験をした人の下記のような記事があった。 ≪全国自動車カバー工業会に見解を求めたところ、 「カバーをした状態で塗装面に水気があると温度変化により水蒸気となり、(元来、車の塗装表面には微穴が無数にある)その穴に入り、塗装面のさらに下で水に戻ると 肉眼では白いシミに見える状態になります。特に夏場に起こりやすく、黒・赤・緑・紺色など濃色に表れます。また古い車の塗装面は膜も弱く穴が多大となっているため、シミも広範囲になります。 これを直す為には板金屋のハンド型赤外線放射器にて根気よく当てて水を再び蒸気にし、その穴から飛び立たせるか、同じ原理にて天日乾しで待つしかありません。かなり時間がかかります。過去、何度もそのような事例がありましたが、時間がかかる為、保険屋さんにお願いし、全塗装に移行したこともあります。我々としては 車両保険加入の方には保険会社さんのお抱えの板金屋で作業され、根気よくされるか、全塗装されるのであれば、そこで適正見積を出されることをお勧めします。」とのこと。≫ 実際私のVIGOも、2008年式なので、経年による塗装面の劣化も進んでいたのだろう。しばらくこのまま乗るつもりだが、ダメなら塗装に出すしかないかなと考えている。

Jパークまで歩いてみました・・・

昨日の何も予定がなかった日曜日。Jパークまで歩いてみた。 月初にあの80歳スーパー翁・朝子さんが、平気な顔してJパーク往復したのに刺激を受けて、試しに負けじとやってみたわけだ。 朝、10時20分に出発し歩き始めましたが、日曜日でもありアサンプションの道は待ちに入ってくる車が非常に多く、かなり怖い思いをしながらの散歩となった。車道の脇にはフッバーと呼ばれる歩道部分があるのだが、この国では歩く人がいないせいで全く整備されていないことに改めて気が付いた。 途切れる箇所が非常に多いこと、電線が足元までぶら下がっている箇所が多いこと、平気で車が乗りあげていること。約半分は、車道を歩くことになった。また、Jパークまでは、ほとんどが緩ーい登りになっている。 もくもくと歩き続け、到着したのはちょうど12時。約1時間40分かかった。一服してから幸楽苑で昼食、99バーツの中華そばがなくなっていたので、「五目野菜ラーメン」というのを注文してみた。出てきたのはあんかけの広東麺みたいなラーメン。量が多く、食べきれなかった。
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腹いっぱいになり、またJパークを1時10分に出発した。午後になり日差しはどんどんきつくなり、炎天下の行軍となってしまった。途中イオンで少し買い物しアパートに戻ったのは3時ちょうどだった。 途中の商店を一つ一つ見たり、木造の高床式の古い民家が残っていたり、普段見えないものを発見した散歩となったが、足が棒になった。往復15キロ、24000歩の旅、暇な人はチャレンジしてみてくださいヾ(@°▽°@)ノあはは

梅雨のような雨 「パーユ・カオ」

日曜日の夜から、ずっと雨が降っている。
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昨日も降り続いたので、屋台も休んだ。天気予報では15日まで続くという。日本の梅雨みたいに、しとしとと降り続く。 こういう時、タイでは「パーユ・カオ」という。「パーユ」は、ちょっと日本語のできるタイ人は「台風」という。辞書を引いても「台風」と書いてある。「台風が入ってきた」という意味である。 日本語の「台風」は少しニュアンスが違う、暴風雨を伴う上陸して過ぎていくあの「台風」をイメージする。タイでは雨期の瞬間的なスコールはよくあるが、正直日本のように台風○○号が上陸してきて、暴風雨になるというのを経験したことがない。だから、タイには台風がないのだと思う。 このように雨が数日降り続くときは、必ず「パーユ・カオ」だからというのは、「熱帯低気圧」と訳するほうが正しいような気がする。低気圧が停滞していて、雨が数日続くのだろう。

健康寿命と平均寿命

私も来月63歳になる。まだ平均寿命までかなりあるので元気で暮らしたいと思う。 最近、「健康寿命」ということがよく言われる。「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」を言うらしい。 釣りの記事にも書いたAさんは、来年4月の誕生日で80歳を迎える。シラチャに滞在した5日間に、なんとゴルフ3日間と釣り1日を平気でこなした。9月3日の土曜日だけ休養日にしたつもりが、散歩に行くと言ってJパークまで往復約16キロを歩いて帰ってきた。
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2013年の調べによると、男性の平均寿命80.21歳、健康寿命71.19歳、女性は平均寿命86.61歳、健康寿命74.21歳という。Aさんの場合は、健康寿命をすでに8歳以上超えていることになる。 健康に歳をとりたいと最近真剣に思う。そのためには、普段から運動不足にならないよう、筋肉が衰えないよう、鍛えておく必要がある。 私も、8月21日から毎日ジョギングを再開した。屋台のオープン前に、公園を5周(5キロ)、体が慣れるまでジョギング3周ウォーキングで2周している。2か月後には、ジョギングで5周にするつもりだ。これを続けていきたい。 前述のAさんが「最近上半身の筋肉が落ちてきて、年寄みたいになった」とぼやいていた。十分年寄なのだが、その気持ちが必要なんだと感じる。 見習って、健康寿命を延ばせるように、これから努力していきたい。 にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ
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タイ人の子供の不登校から退学が続く???

昨夜、アパートのメイドチーフの長男が亡くなった。13歳だった。彼は、素行が悪く一昨年小学校から退学処分になっていた。親が何回も呼び出され注意されたが、改善せず最終的には退学処分となった。3日前も友達4人と無免許でバイク走行中に事故を起こし、結局死んでしまった。 この国、小学校でも中学校でも不登校や、素行不良などの場合、退学処分にされる。 2年前、一番信頼するガードマンの息子が、携帯ゲームにはまり、学校に行かなくなり、6年生途中で退学処分。 今年に入り、スタッフの長女が遅刻や不登校で高校2年で退学処分。 先週もメードボーイの中3の長男が9教科でF評価になり、学校から呼び出された。彼はシラチャで共稼ぎなので息子は田舎で祖母が育てているため、急きょ田舎まで数日帰省した。何とか今回は追試を受けさせ退学は逃れたようだが、時間の問題だ。 最近、こんなことが多い。原因はいくつかある。離婚している夫婦が多いので、片親が一生懸命働いているため、子供のしつけがしっかりできない。また、両親がいても共稼ぎで、祖父母に預けている場合が多い。当然祖父母に甘やかされる。根本的に子供に甘い! それともう一つ、携帯電話の普及。友達と連絡取りやすくなり幅も広くなり、悪い友達もできやすい環境。ゲームやインターネット、SNSにはまってしまい深夜明け方まで寝ないなど。 うちのこの4人の親は、皆真面目で、長く勤務しているスタッフばかりだ。 子供の教育費を出してくれている親に感謝しないのだろうか?? 学校卒業して就職して早く親を楽にさせようとか思わないのだろうか??? これだけ続くと、タイの将来が心配になる。子供たちは、きっと数年後後悔することになるのだろうが、取り戻すことは難しい。 にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ
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