日本の英語教育の間違い

日本では英語を中学、高校で6年間、そして大学まで入れると10年間も勉強するが、殆どの人が英語を話せないことはよく話題に上る。学校とは別に英会話を習った人だけが話せる。
元々、日本の英語教育は明治時代に外国の文化を急いで吸収する必要があり、外書を翻訳するために生まれた学問である。故に、読み書きが中心で、翻訳するための文法をしきりに教えるのである。それが頭に染み付き、それが邪魔をして私なんぞは未だに英語は話せない。
その国で生まれた子供は文法など習わなくても話せるようになる。日本人でもそうだが文法は習ってないが、皆日本語を流暢に話すことができるのである。

タイに住んで13年、何不自由なくタイ語を話しているが、タイに来る前に日本で45分の授業を20レッスン受けただけで、後は見よう見まねで話せるようになっただけである。よく、他の日本人に「タイ語でどういうのか」聞かれることがあるが、殆どの人が、主語がどこで、目的語がどこで、形容詞は後ろからかかるんですねみたいなことを言う。やはり、頭の中に今でも残る英語の文法という方程式に置き換えて覚えようとしているのがわかる。思うに、それをやっている限りは絶対に上達しない。いつも方程式があってるかどうかを事前に考えてしまうので言葉になって出てこないのだ。言いたいことを言ってみる、通じなければもう一回言ってみる、相手が理解すれば言い方を修正してくれる、こう言うのかと覚え次からはそれを使う、の繰り返しが大切だ。
タイ語という新しい言葉を覚え始める時、これが文法と決別するとてもいい機会なのだ。赤ん坊になったつもりで、生きていくのに必要な言葉から覚えていくと、1年いたら1歳児のタイ語、2年いたら2歳児のタイ語、3年いたら3歳児のタイ語、そうなれば殆ど話せるようになる。

余談だが、明治時代に欧米から様々な学問が入ってきた。それを必死で翻訳したわけだが、そもそも日本になかった学問はその名前を日本語でつける必要があった。「会計学」は、英語の「Calculate」を、簿記は「Book keeping」を発音に近い漢字に置き換えただけというのをご存知だろうか?

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